作者 生没年 |
織田一磨 1882(明治15)-1956(昭和31) |
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制作年 | 1931(昭和6)年 |
サイズ | 縦43.5cm×横51cm |
技法・素材 | 石版画 |
解説 | 織田一磨は、明治から昭和にかけて活躍した石版画家です。初め川村清雄に洋画を、やがて兄・東禹(とうう)のもとで石版画の技術を学び、美術雑誌『方寸』への参加を契機に、石版画による創作版画の道に進むことになります。そして1916(大正5)年に『東京風景』の連作を制作して以来、生涯にわたって石版画での制作活動を続けました。石版画は18世紀末にドイツでうまれた技法ですが、織田はその絵画的表現に適した特長に着目し、工業作品的ではなく純粋な美術表現として近代日本美術界で発展させようとしました。1918(大正7)年に山本鼎らと発足させた日本創作版画協会も、石版画の普及を意図するものでもありましたが、戦争の激化につれて活動は薄れていきました。 本作は吉祥寺に自宅工房を新築した年に制作されたもので、『画集風景版画』の内の1点です。著書『武蔵野の記録』の中で「武蔵野の現代文化は、武蔵野の住民によって築かれなければならない。」と述べた織田にとって、自らそのことを実践していた作品といえるでしょう。 |
所蔵美術館 | 武蔵野市立吉祥寺美術館 |